2016年3月24日木曜日
お金持ちと自分の違い
「お金とは何か」という位置づけは、金持ちと庶民では違うんだそうだ。
一般庶民の感覚だと「お金は欲しいものを買う為のもの」だけど、金持ちにとっては「便利さを買う為のもの」らしい。
私が住んでいる都市はケチで有名で、基本的に上から下まで「ケチ」で構成されている。
子供時代に消費文化が普通の関東で育ったので、私の住む都市独特の「ケチの意義」がどうもよくわからなかった。
金持ちなのにケチなことを言っている人を見た時に「金持ちのくせにケチなんて最低」と言ったら、周囲から「お金持ちほどケチなものだよ。ケチでなきゃお金なんて残らないでしょ」と言われた。
自分とお金持ちの感覚の違いは何だろうと思ってよく観察していたら、彼等がやみくもにケチに走っている訳でもないらしいことに気づいた。
質素倹約が習慣になっているのはその通りなんだけど、大抵の場合は「仕事が忙しくて贅沢品を買いに行く暇がない」ように見える。
お金持ちはたいていよく働く。家族全員、朝から晩まで働いている。商売が忙しいから、時間が惜しい。悩んだり困ったりしている時間も惜しい。
故に、お金持ちは時間をお金で買う。余分な手間をかける時間を短縮する為にお金を使うことに、まったく抵抗がないようなのだ。
知り合いのお金持ちは、「自分の友達と旅行に行って一番イライラするのは道に迷うこと」と言っていた。
あっちかも知れないこっちだろうかと、動き回ったり歩き回ったりという意義がさっぱりわからない、「タクシーに乗れば早いのに」といつも思うと言っていた。
庶民の私はタクシー代が惜しい、自分で探すならばタダだと思うのだが、「その時間に別のことができる」と言われた。
重い物を運ぶのも、私ならば自分で何とかしようと思うが、お金持ちは「やってくれる人をさがす」と言う。「多少のお金でやってもらえればその方が良い。無理に自分で運んで怪我でもしたら余計に高くつく」のだそうで、「怪我しないように自分でやれば良いじゃないか」と思うのだが、人に言わせるとそれが「庶民の感覚」なんだそうだ。
突き詰めて言えば「贅沢とは何か」の定義が違うということなんだと思う。
どちらが良いかは価値観の問題で、一概には言えない。
有閑マダムだけ見ていると「お金持ちは別人種」にしか思えないが、自分で働くお金持ちを見ていると「物事の捉え方の問題」なんだと思えてくる。
人を羨ましがっているだけでは進歩がない。自分と彼等の違いは何かをつぶさに観察している時間があるのは庶民の特権なんだし。