2016年3月7日月曜日

お化けなんかいない(1)ただの偶然


子供の頃、お化けの話が大好きだった。


学校から帰って来ると、母がワイドショーの心霊写真特集みたいなのを見ていたので一緒に見ていた。
近所の友達の家に遊びにいっても、やっぱりワイドショーを見ていたので、友達の家族と一緒に居間でおやつを食べながら見ていた。




学級文庫につのだじろうの漫画『亡霊学級』なんかもあってこわごわ読んでいた。
亡霊学級
今思うと、恐いって言うより気持ち悪い話が多いな。

同じく学級文庫に心霊写真ばっかり集めた本なんかがあってみんなで見てた。
恐怖の心霊写真集―あの世からの来訪者たち (二見文庫―二見WAi WAi文庫)
皆で見れば恐くない。


そのくせ私は筋金入りの恐がりで、暗い所ダメ、トイレも一人じゃ恐くていけない、物音がするだけでダメのビビリだった。
恐くなる材料を集めれるだけ集めて脳みそに叩き込んでおきながら、お化けが怖いという、矛盾を抱えた子供であった。


当時は、父が単身赴任で不在のことが多かったので、夜に外でガタン!と大きな音がすると母、兄、私の誰かが見に行かないといけなかった。

母はたいてい兄(小学生)に押しつけ、兄が抵抗しても「男の子でしょ!見に行きなさい!」とゴリ押しし、兄は親の権力には逆らえず、ブツブツ言いながら見に行かされていた。

「何もない」と不機嫌に報告する兄に、「お化けが恐くないの?」と聞いたら、「そんなもんいるか。お前は恐いもんばっかり見てるから恐いんだ。恐いなら見るな。知らなきゃ恐くも何ともない」と叱られた(八つ当たり)。

怒られながらも私は、初めて「お化けの話を知らなければお化けは怖くない」という当り前の事に気がついた。
周囲が見てたから一緒に見てただけなんだけど、確かにそんな時でも兄は見ていなかった。
たいてい外で遊んでいたし、家に居て「一緒にお化けのテレビ見ようよ」と言っても断られた。
深く考えもしなかったが、兄はお化けの話を避けていたのだ。
だから暗闇も恐くなかったんだ。


それ以来、ビジュアル的なお化け情報は避けるようにした。
テレビも漫画も写真集も見ない。
みんなで暇つぶしに恐い話をするときも、話は聞くけど、映像での情報は見ない。
目から入る情報を脳裏に焼き付けることをしないようにしたら、いつの間にか、暗闇が恐くなくなっていた。


周囲に霊感が強い人が居ても、私は「お化けは居ない」と言った。
大抵は友達か、知人の知人というくらいの近さだから、ウソを言ってる訳でも何でもないんだろうとわかっている。
いるかも知れないけど、「いない」と決めてしまった方が気が楽だった。
かくして私の周囲からお化けは絶滅した。



うちの母は、身内の葬式の時に、しばしば故人の顔を見ながら「親戚の◯◯さんが迎えにきてる」と言う。
もっと前に他界した親戚の顔が見えるんだそうだ。

祖母が亡くなった時にも、焼き場で「お祖父さんが迎えにきてる」と言い出した。お祖父さんとは私の曾祖父(祖母の父親)で、お棺の祖母の顔が曾祖父に見えたのだそうだ。
私は、曾祖父の顔を知らないので「ふーん」と聞いていた。


その一ヶ月くらい後、法事で親戚(母のいとこ)が、昭和十三年頃の写真を持ってきて見せてくれた。
祖母の姉の結婚式の写真だそうで、曾祖父が写っていた。
見たら、出棺の時に見た祖母の顔そっくり。あまりにも似ていたので兄と笑い出したくらいだった。

年で祖母が曾祖父に似てきていたのか、母が言うように迎えにきた曾祖父の顔が見えたのか、それはわからない。
いずれにせよ、「お化けは居ない」から心霊現象ではなく、「そう見えた」だけ。
お化けに結びつけなければ、必要以上に怖がる事もなく、変な偶然も楽しめた。

知らぬが仏とは全くもってこの事だと思った。


カラカサお化け
ずっとケンケンだから脚力いりそう。