内田百閒は夏目漱石門下の作家で、幻想的な作品とひねくれたユーモアの随筆を得意とした。華やかなイメージはないが、味のある作品が多い。
その百閒の作品「柳撿挍の小閑」を読んだ。
「柳撿挍の小閑」はとても短い小説で、ちくま文庫の内田百閒集成4『サラサーテの盤』に載っている。
サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)
百閒と「春の海」の作曲者として知られる宮城道雄は交流があり、随筆の中にもしばしば宮城氏の名前が出てくる。百閒の描く宮城道雄はどこかやんちゃで、百閒の宮城氏を見る眼には暖かさを感じる。
宮城道雄から見ても百閒はやんちゃな友達だったようで、こんな随筆が残っている。
「私の好きな人」宮城道雄 青空文庫
宮城道雄を知る作家の描く撿挍ならば、宮城氏をモデルにした作品と言うべきなのかも知れないが、他の百閒の随筆を読む限りこの柳撿挍は撿挍の日常を知る作家から見た撿挍であり、この作品は撿挍の体を通して表現された百閒のように見える。
盲目である撿挍にとって、音は大切な信号だ。
景色の代わりに音を頼りに暮らす。
軒先にとまる蝉の鳴き声、雷の音、車夫の息。柴折り戸を開く音、廊下を歩く足音、雨の音。聞き逃してしまいがちな音の変化に、太陽の光や地形の変化、人の心の内までも読む。
見えない自分を導く人の手一つにも、人間性を垣間見る。
どこか女のように柔らかく儚げな伊進の手、粗忽で頼りない婆やの手、引き慣れていない女学校の先生の手、仕事柄そつが無い琴屋の手、テキパキしていて強い三木さんの手。
手を引く人の存在は、時として撿挍の人間的な価値を計る目安ですらある。演奏家としての技術と人間性を、敬い慮る気持ちを持ってくれる人が周囲に居れば、それは撿挍が演奏家としても人間としても優れた人であるという証になる。
晴眼の者にはない価値観と尺度がそこにあり、撿挍はその中で苛立ち立ち止まりながら暮らしている。
「不自由な自分には何事もないのが一番いい。寂しいと云う事は自分の考える可き事ではない。身辺の不自由も、どうせ目が見えない以上、何人(だれ)の手を借りても同じ事である。」
伊進が亡くなり、三木さんが来なくなり、ぼんやりと暮らす柳撿挍のこの言葉に、不自由な立場に生きなければならない自分へのなぐさめと周囲への思いが見える。同時に自分が置かれた盲目という質への苛立ちと諦めとも取れる。
三木さんが帰って来なくなって十七年経った後、柳撿挍の心の内はむしろ穏やかだ。
人を気にして気にしていない。
「うつつにその人がいるとしても、その人の姿も顔も見る事は出来ないのであるから、いない人を見るつもりになっても同じ事ではないか。」
この世から居なくなってしまった人が増え、見えない彼の心の内に、亡き人達の様を見る。むしろ現実が、見えない彼に追いついた。
眼が見えても見えなくても人の本質は変わらないのだ。見る人も、見られる人も。
諦念が漱石を彷彿とさせる静かで美しい作品だと思う。
諦めと悲しみを心の底に閉じ込めてしまおうとする撿挍の姿を落ち着いた筆致で追う、物悲しい佳品である。