内田百閒の随筆は淡々とした記述の中にぽつんぽつんと描かれるユーモアが魅力の一つだと思う。
本気で言ってるのか冗談で言ってるのかわからない微妙なさじ加減で、「真面目な顔で面白いことを言う」粋な笑いだ。
百閒の作品に「長春香」という短編がある。
ドイツ語の生徒だった長野初という女性について書いた随筆で、「柳撿挍の小閑」の三木さんを思わせる最期を迎えた人物の思い出をあれこれと綴っている。
長野さんは関東大震災の火事で家族とともに行方不明になってしまった。
百閒自身も何度か住まいを訪れ、手がかりを探したが、付近一帯が焼けてしまったので、おそらく火事に巻き込まれ亡くなったのだろう、ということになった。
「日がたつに従い、哀惜の心を紛らす事が出来なかった」というように百閒は長野さんの死を悼んだが、結局手がかりを得ることも出来ないまま、長野さんを知る学生たちと作曲家の宮城道雄氏とで一夕の追悼会を開いた。
町会に話して、盲学校の傍の、腰掛稲荷の前にある夜警小屋を借りて、会場に充てた。だれかが音羽の通の葬儀屋から買って来た白木の位牌に、私が墨を磨(す)って、「南無長野初の霊」と書いた。小屋の正面に小さな机を据えて、その上に位牌をまつり、霊前には、水菓子や饅頭の外に、後で闇汁の鍋にぶち込む当夜の御馳走全部を供え、長春香をたいて、冥福を祈った。冥福を祈りつつ、なぜかみんなで鍋を始める。
「手でぽきぽき折った葱」やら「まるごとの甘藷」「長い儘の干瓢(かんぴょう)」等の大雑把な具材が「灰汁を抜かない牛蒡(ごぼう)」によって真っ黒になっていく。
鍋をかき回し、「箸にかかるものを何でも」食べるというワイルドな鍋だ。
「先生、駄目だ。みんなでうまそうに食ってばかりいて、肝心のお初さんは、うしろの方に一人ぼっちじゃありませんか」
そうだ、そうだと云って、みんなが座をつめて、一人分の席を明けた所へ、酔払ったのが、がたがたとお位牌を机ごと持って来た。
「お供えの饅頭も柿も煮てしまえ」とだれかが云って、霊前のお供えをみんな鍋の中にうつし込んだ。
「お初さん一人だけがお行儀がよくて、気の毒だ。食わしてやろう」
お位牌の表を湯気のたつ蒟蒻(こんにゃく)で撫でている者がある。
「お位牌を煮て食おうか」と私が云った。
「それがいい」と云ったかと思うと、膝頭にあてて、ばりばりと二つに折る音がした。「こうした方が、汁がよく沁みて柔らかくなる」
「何事が始まりました」と宮城さんが聞いた。
「今お位牌を鍋に入れたところです」
「やれやれ」と云って、それから後は、あんまり食わなくなった。
(「長春香」内田百閒『間抜けの実在に関する文献』筑摩書房)
不謹慎だと叱られるだろうが、私はこういうあっけらかんとした供養が好きだ。
昔、祖母の妹(美人だったけど生涯独身で、うんとかわいがってもらった)が亡くなった時、ごく身内だけで小さな葬儀を営んだが、その時も「おばさんのお誕生日会みたいだ」と思った。
おばさんの棺がたくさんのお花で囲まれ、遺影がこちらを眺めている。
みんなで長机を囲み、いなり寿司をつまみながらおばさんの思い出話に花を咲かせる。
人の生き死にに、生きている人間がとやかく言っても始まらない。その辺をふわふわと漂いながらみんなの話を一緒に聞いているだろうから、思い出話で明るく過した方が良い。
さすがに遺影を煮るまでは思わなかったが、昔の人は現代人よりよほどおおらかだったんだろうと思う。
この「長春香」を読んだ読者が、「亡くなった人の遺影を煮るなんて不謹慎だ」と出版社に抗議の電話を入れる事も、おそらくはなかったろう。
弔われている長野さんが喜んでいればそれで良いのだから。
古き良き時代を思わせる、ほのぼのとした弔文だと思う。