2016年4月7日木曜日
若気の至り
世の中には自分とそっくりな人間が三人いると言う。
私もよく私にそっくりな人を知っていると言われる。(一人は男だが)
どれだけ自分とそっくりと言われても、知らない相手ならば「ふーん」で済むが、なまじ接点があるとそうもいかない。
私の友達にM美という人が居る。
生霊となって繁華街をさまよい、しばしば知り合いに目撃されているという変わった評判の持ち主だが、悪い人ではない。
仕事の関係者にKさんという女性がいて、この人がM美とよく似ている。
声も似ているし、言ってる内容も似ているし、なにより方言がまったく一緒だ。
M美は西の訛りで喋る。
私は関西の訛りに詳しくないので、どういう特徴があるとどの地域というのはわからないが、関西の人には「関西弁とはこういうもの」という定義があるらしい。
M美の訛りは、関西の人が聞くと「関西弁ではない」そうで、彼女自身「そうとう限られた範囲で喋っている言葉ばっかりだから何弁とは言えない」と言っている。
家庭の事情で引っ越し・転校が多く、あちこちの地域の言葉が混ざっているのだと言う。
私はM美と仲がいいので、かなりの時間一緒に過ごしている。
今ではM美のセリフを文字で起こせるくらい、細かい言い回しを聞き取れる。
その私から見ても、M美とKさんの言い回しは、特殊な言い方も含めて「ほぼ同じ」なのだ。
この二人は性格も似ているのか、表現もよく似ている。
M美は父子家庭で育ったので、言い方も父親的な断定表現が多い。
Kさんの家庭事情は知らないが、同じように断定表現が多い。
少し離れて聞いている人達が、「M美さんがしゃべってるのかと思った」と間違えるくらい似ている。
常にオリジナルな存在であることを目指しているM美にとって、それは受け入れ難いことのようで、Kさんと自身の共通点をことごとく否定している。
「Kさんは若いし、美人だし、一緒にされたって良いじゃんか」と言うと、「そういう問題じゃない」と言う。
あまりに頑に否定するので色々聞いてみたら、「自分の若い頃を見ているようで辛い」と白状した。
確かに昔の彼女は無鉄砲そのものだった。
性格が「イケイケどんどん」であることに加えて、自分でも「モノの言い方を知らないから随分失敗した」と言っているくらい怖いもの知らずなところがあるので、思い出すだけでも恥ずかしくなるようなことを色々やらかしているらしい。
若くてエネルギッシュなKさんの、ある種の恐いもの知らずな面が、昔の自分を思い出させるのだと言う。
嫌だったのはキャラかぶりではなくて、若気の至りを尽した自分自身の無鉄砲っぷりだったのだ。
若気の至りは皆そうだし、いくつになったって失敗から逃げることは出来ない。
私の知り合いの70代や90代の皆さんから見たら、私達も「まだまだ若い」年代なのだろうが、当の70代やら90代の皆さんもしょっちゅう失敗している。私は知っている。
「若気の至りの自分を見ているようで辛い」と自身で認められるようになったことが、少し成長したということなのかも知れない。
坊っちゃん (岩波文庫)
親譲りの無鉄砲でいつも損ばかり。