2016年4月24日日曜日
ママさんから学んだこと3
自分がおかれた環境で普通に暮らしていれば楽で良いが、成長はない。
自分とは違う環境で暮らす人達と接すると、最初は大変だけれども、学ぶこともまた多い。
自分にないものを持つ人達を観察していると、思わぬものを発見することがある。
大きな会社や現代的なシステムをバンバン取り入れている会社はまた違うんだろうが、私がいる環境(古い世界)ではよく「言葉の置き換え」をする。
ストレートに表現せず、言いたいことを違う言葉に置き換えてニュアンスを変える。
普通に聞くだけではわからないが、会話に二重の意味があって、表面の意味とは全く別の意味合いの内容をやり取りしている。
内輪の場合は誰に聞かれても差し障りがないように意思の疎通をする智恵であり、 お客さんとのやり取りならば表現を和らげて交渉する技術だ。
言葉を置き換えて話した時にどれだけ理解しているかで、聞き手の技量が計られる。
ぽかんとしていたらそれで終わり、的を得た返答をすればさらに突っ込んだ内容の話をする。
古い商家はある意味それが当り前だが、他の世界ではどうなのかと思っていた。
この前知り合いのママさんと喋っていて、ママさんのいる夜の世界ではさらに高度な置き換えがされていることを発見して驚いた。
彼女のお店に私の上司が飲みに行った時のこと。
上司から「ママがきめ細やかにやってくれて感謝してるって言ってたよ」と言われた。
その後、ママ本人と喋る機会があった。
ママから「あなたの上司が来たときに、これだけ良い対応を受けられたっていっぱい自慢させてもらっといた」と言われた。
自慢というのは、「自分や、自分に関係の深いものを、自分でほめ人に誇ること」(広辞苑)という意味で、あくまでも「自分のものを人から注目されるように誇りひけらかすこと」だ。
本当に自慢するならば、無関係の会社のサービスを受けたときのことを話すはずで、私の上司に部下である我々のサービスを自慢した、と言うと言葉に矛盾が生じる。
この矛盾が「置き換え」で、「あなたたちのことをあなたの上司に褒めておいた」という言葉を「私が受けた対応を自慢させてもらった」と言い換えたのだ。
他の世界から見たら、「褒めといたよ、で良いじゃん」なのだけれど、「褒める」という言葉は自分を上におくことになるから、差し障りがあるのだろう。
「自慢させてもらう」という言葉に置き換えると、「未熟な自分が振る舞った行動」というニュアンスに出来るし、実質的には「あなたの上司に、あなたの印象が上がるようなことを言っておいた」ことになるから、相手のプラスになる。
面倒くさいことこの上ないように見えるが、自分を下に置くことで自分以外の人間に衝突を起こさせない智恵だ。
私が答えるべき返答は「ありがとうございます」一択だ。
年長者の別の上司にこの話をしたら、「なかなかの人だねぇ」と感心していた。
ママさんは私よりも若いが、あの歳でさらっとこんな置き換えが出来るのだ。
言葉の苦労は察してあまりある。
言葉のやり取りが商売の要の世界に生きる人は、置き換えの技術も違うと痛感した。
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言葉の置き換えをした会話の意味がわかるようになるまで、私は十年以上かかりましたわよ。