2016年4月26日火曜日

百閒と漱石



作家の内田百閒は夏目漱石の門下生だ。
漱石というとどこか神経質な作家というイメージがあるが、百閒の描く漱石の思い出にも「先生には近寄りにくかった」という記述が多い。
もっともそれは人によるそうで、そうも思わない門下生もいるにはいたようだが、やはり文豪はどこか近づけない雰囲気をまとっていたのだろうと思う。




百閒の作品には、知己の思い出を書いたものがいくつかある。
芥川龍之介とも友達付き合いをしていて(どちらも漱石の門下生)、芥川自殺の数日前に芥川の家にお金を借りに行った時の様子も作中に出てくるくらい行き来があったようだ。

漱石臨終の前には、門下生が交代で漱石の病床に付き添ったようだが、その辺りの夏目邸の様子も作品の中で読める。(「漱石先生臨終記」など)

ただ、やはり百閒の随筆は、深刻なものよりも皮肉の効いたユーモアがある方が面白い。
今読んでいる百閒全集の中に、こんなのを見付けた。


芥川を偲ぶ「河童忌」の席上で、百閒は佐藤春夫氏から物故文人記念展覧会に出品するための漱石の遺品を持っていないか、と尋ねられた。百閒が持っている数々の遺品を振りかえり、あまりにもたくさん使ったためにぼろぼろになってしまった云々という話が続いた後、氏の蔵する、漱石の鼻毛の存在に触れている。

私の所蔵する遺品の中に、漱石先生の鼻毛がある。今この稿を草するに当たって、そっと開けて見たら、大変長いのや、短かいの合わせて丁度十本あった。その内二本は金髪である。

「我輩ハ猫デアル」の中で苦紗弥先生が細君に小言を言われながら鼻毛を原稿用紙に並べ、毛の個性に感動している描写があるが、それを引用しながら、自身の蔵する漱石の鼻毛を紹介している。

私の蔵する鼻毛の年代は、道草時代である。(中略)私と外二三人で、道草の書きつぶしの草稿を貰って、分けた。(中略)その中に、変な物のくっついた草稿があるので、何だろうと思って見たら、鼻毛を丁寧に植えつけてあった。(中略)私は前掲の猫の文章を思い出し、又先生の苦吟の模様を想見して、大事にその毛を蔵っておいた。先生の鼻毛は、私の筺底に二十年に近い春秋を重ねて、今取り出して見ても、色も変らず、ぴんと跳ねた勢も昔のままである。世に遺髪と云う事もあるので、私はこの毛をおろそかには考えない。物故文人展覧会に出品すべきものではないと思っている。
若しこの文を読む人の中に即断家がいて、私が漱石先生の鼻毛を抜き、爾来二十年之を珍蔵したなどと考えられては迷惑する。先生がご自分で抜いたものであり、由来先生に原稿用紙に植毛する癖のあった事を瞭(あきら)かにしておくため、煩を厭わず猫の文章を引用したのである。
 (「漱石遺毛」内田百閒『間抜けの実在に関する文献』筑摩書房)

美しい師弟愛ではないか。