昔からの疑問に「なぜニコラス・ケイジはこうも長い間主役をはり続けていられるのか?」というのがある。
ニコラスファンには失礼この上ない話なので申し訳ないが、どうも私にはニコラス・ケイジの素晴らしい点がよくわからない。
昔「60セカンズ」という映画を映画館まで見に行ったこともあるが(当時は毎週のように映画館で見ていた)、アンジェリーナ・ジョリーが出ていたことしか覚えていない。それくらい「毒にも薬にもならない俳優さん」という印象なのだ。
マット・デイモンもまた然り。なのに見てしまった。
マット・デイモン演ずるジェイソン・ボーンが、記憶を無くし大けがをした状態で漁船に救出され、自分は何者であるかもわからないまま命を狙われ逃げ回る、というのがこの映画の趣旨だ。
主人公のジェイソン自身が自分のことをよくわかっていないのに、見ている観客が彼を取り巻く状況などわかるはずもなく、次々現れる刺客を見る度に「この人は誰かしら?」と思い、よくわからないまま終わるという恐ろしい話である。
彼は自分のことはすっかり忘れているのに、多言語を話せるし、自分の身を守る術は体が覚えているから反応する。レストランに入れば店全体と出入り口を見渡せる場所を見つけ、客と従業員の数と位置を把握して、いつ変化が起きても対応出来る場所に座る、ということを無意識のうちにやっている。
まるっきりバンコラン少佐である。
バンコランと言えば、「パタリロ」にこんな話が載っていた。
スパイは外見で判断をするのが難しい。
たいていは徹底的に教育されているから言葉は完璧で、並大抵のことでは尻尾をつかめない。
そういうとき、当局者はその国の人間ならば誰でも知っているような童謡を歌わせるのだそうだ。
文化や言語は教育されていてもさすがに童謡までは教えられていないから、歌えなくてバレるのだと言う。
本当かどうかは知らないが、この映画のジェイソンや「m:i」のイーサンが流暢な外国語を話すシーンを見る度にいつもこの豆知識を思い出し、「彼等は童謡を歌えるのかなぁ」と変な疑問を抱いている。
冒頭のニコラス・ケイジがなぜ主役をはり続けていられるのか、という疑問に私の友達M美は「何でも出来るからやろ」と 言っていた。
彼女が言うには、癖がないから悪役もヒーローも出来て制作側から見ると使いやすい俳優さんなんじゃないか、と。
言われてみれば、ニコラス・ケイジは顔こそ癖があるが、「こういう役」というイメージが固定されていない。マット・デイモンも又然りだ。
息の長い俳優さんてそんなもんなのかもしれない。