2016年6月10日金曜日
映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」を見た
以前映画「ペントハウス」を政治モノと間違えて見たと書いたが、これと間違えた「エンド・オブ・ホワイトハウス」。(あってるのは「ハウス」だけ)
私が最初に見ようと思っていたのはこれだ!と思って見てみたら、政治モノじゃなかった。確認もせず物事に着手する癖は直さないといけないとつくづく思う。
エンド・オブ・ホワイトハウス(字幕版)
男たちのドラマっぽい。
原題は"Olympus has fallen"で、直訳すると「オリンポスが落ちた」。
この言葉は台詞の中にも出てくる。
ホワイトハウスがテロリストに完全に制圧された時に「ホワイトハウス(=オリンポス)は敵の手に落ちた」という意味で使われていた。
原題は我々日本人にはわかりにくいので別のタイトルを付ける気持ちはわかるけど、「エンド・オブ・ホワイトハウス」では身も蓋もないと感じるのは私だけだろうか。
この映画は、特殊部隊出身で大統領一家を警護する任にあったマイク・バニングが、テロリストに制圧されたホワイトハウスに乗り込み、敵を倒し、大統領を救出するという「たった一人で頑張るヒーローもの」である。
映画を見ながら「この既視感はなんだ」と考えていた。「ランボー2」だ。
一人で適地に乗り込み、味方には若干突き放され気味(内輪もめ)、前は敵、逆境に負けず勇敢に戦うヒーローには弾丸もよけるらしく主人公は無傷あるいは軽傷でミッション終了、最終的にはハッピーエンドというわかりやすいヒーローものだ。
映画の中には多分こういうジャンルがあるんだろうと思わずに居られないほど安心して見ていられる展開である。
この映画でホワイトハウスを制圧したテロリストは北朝鮮出身のグループである。
冷戦時代にソ連がどうのという映画をさんざん見たが、今のトレンドは北朝鮮のようだ。
日本ではフィクションで国家名を出す場合、それとわかるように伏せ字にするか、完全に架空の国家名を作るかして、何を突っ込まれても逃げられるようにするケースがほとんどだと思うが、アメリカ人はヘッチャラらしい。
欧米人に「結局欧米人はアジアのことをよく知らない」と言われたことがあるが、この映画を見ていて本当にそうだろうなとつくづく思った。民族性も複雑な事情も何も無く、いろんな意味で「東アジア人の顔をしたアメリカ人的発想を持つ人達がテロリストになった」という印象。
娯楽だから別にそれでも良いんだろうが、この大雑把な感覚が良くも悪くもアメリカ的なんだろうなぁと改めて思った。
世界中でテロが頻発する中、平和の中でボケーっと生きている私にはテロに対する危機感や認識はほぼ皆無だ。
訓練され組織されたテログループが計画的に行えばこういう惨事が起きる可能性は十分にあり得るのだと認識する意味では、かなり勉強になった。
荒唐無稽と笑わずに、もし自身がこの時近くに居たらどう処すべきか考えながら鑑賞するのも一つだし、より建設的な見方だろうな。