2016年6月12日日曜日
映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」を見た
少し前、友達と「差別とは何ぞや」という話になった。
私達が話していたのは差別の良い悪いではなく、「その差別が始まった根本理由は何なのか」ということだった。
かつて私の知り合いのイギリス人が「差別の正体は相手への無知と恐れ」と言っていたが、外から見て違いがわからない人間同士の差別の原因が「無知と恐れ」で片付けられるのか否か。
そこからヒトラーの話になって、この映画があったことを思い出し、見てみることにした。
どんな人の中にも天使と悪魔が同居しているもので、「この人はこんなふう」と一言で言い表すことはできない。
ヒトラーにしても同じ事で、どれほど研究が進んでも「ヒトラーはこんな人だった」と一言で定義づけることは出来ないだろう。
ヒトラーほど社会に影響を与えた人の全てを、一作の映画で描き切ることもまた無理な話で、この映画もあくまでもアドルフ・ヒトラーという人のほんの一面に光を当て、最期の12日間だけ切り取って表現した、というものだ。
この映画の元になったのは、ヒトラーの秘書をしていたトラウドゥルという女性の回顧録だそうだ。
トラウドゥルさん本人も映画の最後に出てくるが、全編を通して演じているのはアレクサンドラ・マリア・ララという女優さんだ。
ドイツ映画というのを今まで見たことがなかったが、シンプルで台詞が少なく、間や表情で表現する舞台に近い感じがした。
この映画でも主役のトラウドゥルの台詞はごく少ない。
アレクサンドラ・マリア・ララが演じたトラウドゥルも目で訴えるか笑顔で応じるかがほとんどで、言葉で表現していない。
対してヒトラーは「総統」として振る舞う時は極めて饒舌で、その対比がヒトラーの特異性を印象づけている。
おそらくこの映画で評価が分かれたのは人間ヒトラーの描き方だろう。
「総統」として振る舞うヒトラーは激烈な台詞を吐く冷酷な政治家だが、子供や女性に対する時は別人のように優しい表情で穏やかで思いやりのある態度をとっている。
人間だから色んな面があるのは当然で、誰であろうが優しい一面は持っている。ヒトラーだってそれは例外ではないし(それ故にエバという女性は生涯ヒトラーの側を離れなかったのだろう)、彼の周囲で彼を慕う人間がいたことにも表れている。
私はドイツ人ともユダヤ人(イスラエル人)とも話をしたことがある。
ごく短時間だったから心の内まで語り合った訳でも何でもないが、私の感じた限りでは、どちらも極めて聡明な人達だった。
理知的な人は一見近寄り難く見えるが、話せばビックリするほど人間味があることが多い。
私から見たドイツ人もユダヤ人もそうで、何カ国もの言葉を操る語学力があるのに私の拙い英語に根気よく耳を傾けて理解しようとしてくれるし、垣根無く話をしてくれた。
人によっては善意に満ちたアドバイスまでくれて、親切にも程があると思ったくらいだ。
聡明な人達故に、ぶつかると難しいことになってしまうのかな、と映画を見て思ったりした。
ヒトラー ~最期の12日間~ (字幕版)
そっくりさん大賞。