2016年5月7日土曜日

映画「ゴッドファーザー2」を見た



普段ならば、通勤電車の中はkindleで読書をしているが、「ゴッドファーザー」の続きが気になるので、i Pod touchにダウンロードして電車の中でもずっと見ている。




「ゴッドファーザー」が、ビトからマイケルへの跡目継承と心優しい青年だったマイケルが冷酷なマフィアになっていく様を描いていたとすれば、続編の「ゴッドファーザー2」は、「ビトとはどんな人なのか」ということと、ビトの作り上げたファミリーを守るために内外で戦うことを義務づけられたマイケルの苦悩と孤独を描いている。


前作でマーロン・ブランドが演じたビト・コルリオーネの青年期を、この作品ではロバート・デ・ニーロが演じている。
デ・ニーロがめちゃくちゃ若くて細く、一見誰だがわからない。(YMOの高橋さんかと思った)

私はロバート・デ・ニーロをよく知らなくて、映画「アンタッチャブル」でアル・カポネを演じていた人だとということを最近知って、その化けっぷりに驚いている。
「アンタッチャブル」のカポネはコミカルに演じられていたから(故に殺戮のシーンが恐い)コメディの俳優が演じていると思っていた。
今考えても「アンタッチャブル」って豪勢な映画だったんだなぁと思う。(衣装はアルマーニだし)


マフィア映画だからしょうがないけど、ビトを偉大に描かないといけないから、ビトの犯した犯罪も「勧善懲悪」になっている。
 「やらざるを得ないからやった」ならばマイケルが指示した殺戮も同じ事で、マイケルはそれが原因で家庭も破綻し孤独感にさいなまれているが、ビトは周囲から理解され尊敬されていく。

マイケルの奥さんのケイの感覚がまともならば、ビトの奥さんの感覚がまともじゃないということになってしまうのだけれど、ビトの奥さんは「ビトの子供達の素晴らしいママ」なので、勧善懲悪なマフィア映画というのは、初めから矛盾を抱えているんだなぁと思った。

ならば、「悪党だよ、何が悪い」と開き直る「スカーフェイス」の方がむしろ矛盾はないんだけど、その辺はどうなんだろう?



現代を生きるマイケルは、相変わらずピカピカの美形のアル・パチーノが演じている。
「殺すのは敵だけ」と彼は終始一貫して言っているが、敵の手が内部に伸びるからファミリーを守るためにファミリーの内部の人間も粛正せざるを得なくなって行く。
マイケル並みに物事を洞察できるのは義兄弟のトムだけで、あとはマイケルにとっては「守らないといけないファミリー」でしかない。
兄からは嫉妬され、奥さんからは軽蔑され、「だったらお前が代わってくれ」と言いたい所なんだろうなぁと思う。


たいてい、どんな世界でも成功した初代は裸一貫で財を築いた苦労人で、人並みはずれた精神力があるから山や谷を上手に乗り切っていけるのだけど、二代目以降は大切に育てられたお坊ちゃんと相場が決まっていて、「パパ並みに強く生きる」ことなど元々出来ないようになっている。
そのわりに、富もしがらみも継いで、各部から噴出する不平不満も解決していかないといけないから「好きでこの家に生まれた訳じゃない」ということになる。ヘタをすると身を持ち崩したりする。

落語ではしばしば見られる不変のテーマだが、舞台が変わるとシリアスなマフィア映画になる。
勿論、そのテーマに対する特効薬のような解決策が示される訳でもなく、たいていはマイケルのように押しつぶされそうになりながら生きるだけだ。
苦悩する二枚目は絵になる。
ゆえにこの映画の主役はピカピカの美形でなければならないのだ。


本作辺りまでは美形を保っているアル・パチーノは、この後どんどん老けていく。
苦悩するのが「美形ではなくなってしまったアル・パチーノ」というのが、続編「ゴッドファーザー3」だ。今、その3を見ている。

このパート3は相当コケたらしい。
まだ冒頭部分しか見ていないが「なぜこれ?」という突っ込みどころ、てんこ盛りだ。
これは伏線なのか?どんでん返しがあって「なるほど!」ということになるんだろうか?それとも「なんでコッポラはこれを作ろうと思ってしまったのか?」で終るんだろうか。
その辺りの所が解決出来るのか、興味深い。

ゴッド・ファーザーPART2 (字幕版)
実在したマフィアをモデルにしたキャラクターも出ていたので、マフィア史を調べるのも面白かった。