2016年5月21日土曜日
映画「レッド・ドラゴン」を久しぶりに見た
映画「羊たちの沈黙」の続編の一つ、「レッド・ドラゴン」を見た。
公開当時、映画館で見たので数年ぶり。
内容はほとんど忘れていた。「ああ、こんなんあったあった」という世界。
「羊たちの沈黙」でFBI訓練生のクラリスに助言を与え、事件を解決に導くハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)。
レクターは「脇役にしておくのは勿体ない」と思わせる特異なキャラクターを持っていた。あの映画を見た多くの人がそう思っただろう。
ソロバン勘定の得意な映画界がニーズを見逃す筈は無く、その後続編がでるわでるわ、「羊たち」をあわせて現在4作ある。
この「レッド・ドラゴン」はその3作目。
レッド・ドラゴン [Blu-ray]
「羊たちの沈黙」公開当初は全くこの映画に興味がなかった。
その頃、たまたま『FBI心理分析官』(ロバート・K.レスラー)という本を読んだ。
FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)
「プロファイリング」という技術を使って犯人の特徴を絞り込み、解決に繋がった異常な事件を、著者の専門分野である心理分析という観点から詳述した本だ。
猟奇的な事件が現実に起きていることに圧倒されつつ、犯人の特徴を客観的に特定し、捜査の手がかりにする手法が興味深かった。
この本の帯に「羊たちの沈黙のモデル」みたいなことが書いてあって、それならばと流れで映画「羊たち」を見た。
さすがに本は元捜査官が書いたというのもあって客観的な記述が主体だったが、映画は異常性を前面に押し出していたので、ショッキングな描写が多かった。
最初の「羊たち」では人に噛み付いたりしていたレクター氏だが、「レッド・ドラゴン」ではそういう直接的な表現は抑えられ、あくまでも言葉と象徴的な物だけで視聴者に想像を促し、その想像で恐怖心を覚えさせるという心理的な手法が使われている。
カニバリズム(食人嗜好)という、異質な世界を映像で表現するのはおそらく容易ではなかっただろうと思う。
ゾンビみたいにただクチャクチャと手やら足やら食べちらかすのはいかにもおぞましく、レクター氏の持つであろう美意識とは相容れない。
ホプキンスの抑揚を抑えた口調と貴族的な雰囲気が、その向こうにあるカニバリズムという異常性を強調している。
頭で作り上げる想像の産物は映像以上に深い印象を残すから、これは映像で見せられた記号を追って視聴者が頭で作り上げるサイコホラーなのだと思う。
表題にもなっている「レッド・ドラゴン」というのは、映画の中で起きた連続殺人の犯人の心に巣食う狂気の象徴で、事件の周辺人物が登場し捜査が進行するが、この連続殺人は映画の中であまり存在感がない。あくまでもレクター氏を引き立たせる添え物程度のものになっているので、割愛。
ちなみにwikiによると、「羊たち」のクラリスは当初ミシェル・ファイファーに、レクターはショーン・コネリーにオファーが行ったそうだが両者に断られ、ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスのコンビになったそうだ。
タフガイのレクターを見たいとは思わないが、ミシェル・ファイファーのクラリスはちょっと見てみたかったなぁと思う。
ただ、ミシェル・ファイファーとアンソニー・ホプキンスだと両方ともアクがなさ過ぎてさっぱりした印象になりそうだから、結局あの配役で良かったんだろうなとも思った。