2016年7月23日土曜日

映画「ブラック・サンデー」を見た



ブラック・サンデー (字幕版)
これを見た。

1970年代の映画なので今とは状況がかなり違うが、テロリスト・グループによる大規模なテロを扱った作品。パニック映画ではあるけれど、内容的にはヒューマンドラマだと思う。



1977年当時、この映画は脅迫を受けて日本での公開が中止されたそうだ。
誰からどんな脅迫を受けたのか詳細はあまり明らかになっていないが、当時の状況から鑑みるとアラブへ行った左翼系かその関連の人達だったのかなとも思う。


「ベトナムが俺を変えちまった」の典型みたいなアメリカ人ランダーが、自分を受け入れなかった社会への復讐のために、テロリストグループ「黒い九月」のダリアという女性と組み、8万人を相手に大規模なテロを計画、モサドのカバコフ大佐がその計画を阻止する、というお話。

ベトナム戦争が終って数十年、ベトナムの町にアメリカ人がたくさんいるような現在では今ひとつ実感が湧かないが、この時期には「ことと次第によってはこういうこともあるかも」という設定だったのだろう。

40年経った今もパレスチナの問題はまるっきり解決していないし、ベトナム帰還兵によるテロは聞かないけれど別の動機での大規模テロは実際に起っている。


冒頭にこの映画はヒューマンドラマだと書いた。
ベトナム帰還兵のランダー、パレスチナのテロリストであるダリア、イスラエルの情報機関モサドのカバコフ、各々が「男性」と「女性」の典型を体現していると思うのだ。

ダリアは、国を追われ不遇を強いられた怒りを動機にテロリストグループの一員として活動している心の強い女性だ。美貌と強さを武器にランダーに近づき、彼が計画したテロを実行に移させるためにあらゆる手段を講じる。

ランダーは捕虜生活と帰国してからの社会の冷たい待遇によって心が内向きになり、その恨みをテロに還元して仕返しをしようとする子供のような男性である。ダリアの強さなしでは何も出来ないが、勿論そこは認めない。

カバコフはパレスチナとの闘いで人を殺しまくった半生にお疲れ気味の中年男性である。自身の疲れと甘さから一度ダリアを逃がしたが、それが原因で8万人もの人達を巻き込むテロの計画が進んでいることがわかり、阻止するために奔走する。

人物の置かれた背景はともかく、「女性性とはこう」「男性性とはこう」というステレオタイプな人間像ではなく、女性のたくましさと男性のもろさを表に出して表現されているから、意外とこの人物像には臨場感がある。


パレスチナの女性テロリスト、ダリアを演じたマルト・ケラーは「ミケランジェロの暗号」でユダヤ人画商ビクトルのお母さんを演じた人だ。
 今はもうおばさんになってしまったけれど、この人の若い頃は本当にきれいだと思う。

バレエ出身の細い体で不屈の精神を持った女性を演じると、「一見か弱そうだけど実はテロリスト」という設定に不自然さを感じない。

カバコフのヒーロー的配役はともかく、「弱そうで強い」ダリアと「強ぶってるけどもろい」ランダーのキャスティングは素晴らしいと思う。

カバコフとダリアがくっついたら映画的には「いかにも」なんだろうけど、そうしないところがこの映画の良心的な所なんだろうな。