2016年7月17日日曜日
映画「アウトロー」を見た
プライムビデオのおすすめにはトム君の映画が多い。
ケイティ・ホームズがトム君と離婚した理由の一つに「トム・クルーズは四六時中映画のことばっかり考えていて、家庭はほったらかし」と言ったとか言わなかったとか言われているが、確かに「こんなにたくさん出てるのか!」と思うくらい出演作は多い。
「m:i」に代表される「完全無欠のヒーロー」も多数あるが、ひねたハードボイルド路線も意外にある。この映画は後者だ。
自由を求めて流れ者になったジャック・リーチャーという元米軍憲兵隊捜査官が、無差別殺人事件の犯人と目された元狙撃兵ジェームズの無実に気づきそれを証明していく、というお話。
難しい話ではないんだけど、意外と台詞が少ないので映像から意味を拾っていかねばならず、途中で何度も戻って見直して、というふうにじっくり鑑賞した。
トム君の演じるジャックは、「無所有」を体現しているような人物で、経歴も登録も記録も残さず、服もリサイクルショップで購入した「今着るものだけ」しか持っていない。
移動はバスか盗んだ車(こら!)、クレジットカードは持たないから現金、射撃の腕は一流だけど武術に長けているので拳銃も持っている様子もない。「自分と今手元にあるものだけが全て」という究極のミニマリストである。
私は「ものを持たずに暮らす」ということに憧れがあるのだが、女性は「着たきり雀で暮らす」ということが許されない。 化粧もせずに服は一揃いだけで、毎日寝る前に洗濯して朝起きたらそれを着る、という生活をしようものなら、周囲から何を言われるかわからないし、そもそも社会生活ができない。
男性でもここまで制限した生活は難しいだろうしジャックは故に「アウトロー」なのだが、人間は自分にはないものに憧れるもので、自分の存在を消すように暮らすことで身についたそういう習慣を是とし、流れ者として自由に暮らすジャックには心惹かれるものがある。
この映画で射撃場の主人、キャッシュをロバート・デュバルが演じていた。「ゴッド・ファーザー」で、マイケル(アル・パチーノ)に最も信頼されていた弁護士トム・ヘイゲンを演じていた俳優さんだ。
美形だったアル・パチーノもしわしわのおじいさんになってしまってるくらいだから、パチーノより年上のデュバルはもっと年をとってても当り前なんだけど、意外と面影が残っていた。
「ゴッド・ファーザー3」がコケた理由の一つはトム・ヘイゲンが出なかったから、と言われいる。彼はそれくらい存在感が大きい。
イタリア系ばかりのファミリーの中で唯一のアイリッシュ・ジャーマン、誰からも信頼され、アルカイックスマイルで静かに話を聞き、必要なことだけ話す怜悧なトム役のデュバルが見れるだけでも、この映画はお得だと思った。
「ゴッド・ファーザー3」に出なかった理由が「ギャラでごねた」と言われているので、デュバル=銭ゲバというイメージがなきにしもあらずなのだが、元気な姿が見れたので良しとしよう。
途中からヒロインのヘレン(ロザムンド・パイク)がやけに胸の谷間を強調する服ばっかりになっていったのは何故かとか、つっこみどころはそれなりにあるんだけれど、それ以上にこの映画の端々で見られるジャック(トム・クルーズ)の徹底した怜悧さと合理性に共感するところが多い。
ヘレンのオフィスでジャックが向かいのビルのオフィスで仕事をする人達を見せながら「もう一度生まれ変わって同じ人生を生きたいと思う人間はいないだろう」というようなことを言う場面がある。
ならばジャックも同じ人生を生きたいと思うかと言えば彼だっておそらく「NO」なんだろうが、自由に生きるのであれレールを歩くのであれ、人間は平等に「自分の来し方を後悔する」のだ。
映画「コラテラル」で、彼が演じた殺し屋ヴィンセントが巻き添えにしたタクシー運転手マックスに「これしか選択肢がなかったと思え」と言うシーンがあるが、殺し屋でなくても後悔に対する処方箋は「これしか選択肢がなかったと思う」以外ないんじゃないかと思った。
ひねた人間の負け台詞は時として真理を突いていたりする。
トム君と言えば「m:i」のイーサンのようにパーフェクトなヒーローがよく似合うが、意外と私は彼が演じる「コラテラル」のヴィンセントや「アウトロー」のジャックのような「開き直った外れ者」が好きだ。
このジャック・リーチャーシリーズはぼちぼち続編が公開されるようなので、楽しみにしている。