2016年8月3日水曜日
映画「宇宙人ポール」を見た
学生時代、友達のAちゃんは自分のことを「宇宙人に連れ去られた過去があるに違いない」と言っていた。
聞くと、足に見覚えのない傷があること、十代の一時期の記憶が完全に欠落していること、空を見ていると今でもしばしばUFOを見ること、なんかがその根拠なんだそうだ。
そのことと宇宙人に連れ去れたのと何の関係があるのか聞いてみたら、「連れ去られて手術されたから足の傷はその手術跡。連れ去られた記憶を消去されたからある一時期だけ記憶がない」のだと言う。
当時の私の友達は変人が多かったが、彼女はその中でも変人っぷりが際立っていた。
エキセントリックな冗談ばっかり言ってたので、どこまで本気でどこまで冗談かわからないが、バカな人ではなかったから、おそらくオカルトマニアの振りをして遊んでたんだろうと思う。
この映画は、世界中のほとんどの人が知っているであろう「アメリカで捕獲されたエイリアン」 に関する噂や情報を逆手に取って作られた作品だ。
例のあのエイリアンは実在していて、政府や宇宙人を題材にした作品への助言を行いながら60年間静かに暮らしていた。
エイリアンの名前はポールで、英語を話し、ショートパンツにビーサン、リュック。マリワナをたしなみ、憎まれ口をたたきながら人間を助けてくれるという、その辺にいるおっさんみたいな存在として描かれている。
私自身の宇宙人に関する見解は「いるかも知れない(居ても全然おかしくない)」だが、可視の存在とは限らないし、人間に似た姿をしているとも限らないと思っている。
微生物やアメーバみたいな存在である可能性もあるし、イルカのように知能は高くても人間とはまるで違う形態の生物だって存在するんだから、頭があって目と鼻と口が必ず揃っていて、手は二本足も二本、と決めつけているのは嘘くさい。
なので、いわゆるアメリカで捕獲された、ポールみたいなエイリアンの存在はいるかもしれないけど可能性の一つに過ぎないと思っている。
ただ、この映画を見ていたら、「いる」と決めつけて研究(妄想)に浸って暮らすのもそれはそれで面白いかもしれないな、と思った。
冒頭のAちゃんが「オカルトマニアの振りをして遊んでた」と書いたのは、そういう面白さを楽しんでたんじゃないかと思ったからだ。
この映画の面白さは勿論グレアム(サイモン・ペグ)とクレイヴ(ニック・フロスト)の2人と、ポールの声を演じたセス・ローゲンのうまさに負う所が大きい。
サイモン・ペグは「ミッション・インポッシブル」のベンジーとして3からずっと出ている。根は良いけどとぼけた性格のベンジーが場をなごませ、トム君がどれだけヒーローに専念しても嫌みにならない隠し味みたいな存在だ。
この映画ではSFオタクにふさわしい体型ととぼけた性格で、賢すぎるポールを押さえ、クレイヴの良さを引出している。
主演の2人は脚本も担当したそうで、イギリス人というエイリアンが対峙するアメリカとのギャップという意味もある。日本人の我々から見たら、英語を母国語にしているんだから同じような人達じゃないのかと思うけど、彼等の間にはカルチャーギャップがしっかりと存在しているらしい。作品の中に、そういうカルチャーギャップがちまちまと織り込まれていて、「サイモン・ペグはイギリス人だったんだなぁ」とつくづく思った。
面白いキャスティングだったのは「ビッグ・ガイ」と呼ばれる大物をシガニー・ウィーバーが演じていたこと。
シガニー・ウィーバーは私の大好きな女優さんだ。
同性から見ても美人とは言い切れない(勿論ブスではないけど)微妙なルックスだけど、シリアスからコメディまでどんな役でもしっかり演じて見る人を裏切らない女優魂が素晴らしい。
この映画を見てから宇宙人に関する資料をいくつか読んでみた。
どれもこれも眉唾もので、心霊写真とえらく変わらないレベルの理窟が多い。
写真加工技術がこれだけ発達した現代では、写真が証拠にならないのは言うまでもない。
理論的にも存在を否定するのは悪魔の証明に近い話なので「ふーん、そうですか」と言うより他はない。
ただ前述したように、「宇宙人はいる!」と思ってこじつけ理論をあれこれ考えるのは、実は結構楽しい。
科学の格好をした妄想だから、どれだけ話が大きくなっても実害さえなければ強く批判されることもないし、どこまでも自分の理窟だからストレス解消にもなる。
良い大人になっても「宇宙人はいる!」と叫び、執筆し、出版し、講演し、という人達が後を絶たないのは、それが楽しいことだから、なのだろうと思う。
この映画のラストはとても良いので、エンディングの後はさっさと切りたくなるかもしれないが、音楽が始まった後にも話は続いているので最後まで見続けることをお勧めする。
制作者が笑いながら作ったんだろうな、と思うようなステキなオチがある。